私の娘は自閉傾向があって「こだわり」が強いです。
でも、腕のある職人さんも「こだわり」が強いです。
娘はこだわったまま育っていいものなのだろうか…
時々考えてしまいます。
こだわってこだわって、社会人・職人として成功する人と、
こだわってこだわって、周りから相手にされなくなる人と。
二つのケースがあると思うのですが、その境がどこにあるのか。
ここ1~2年の間、ずっと考えていました。
こだわりが強いといえば、代表的な手相は「マスカケ」です。
天下取りの相などと言われていますが、
実際のところ、本当に成功している方は少ないです。
で、
今日、いきなり閃きました。境界となるもの。
「そのこだわりが、人のためになっているかどうか」
タイトルは忘れましたが、斎藤一人さんの本の中に、
自分の味にこだわって客が来ないと嘆いているラーメン屋の
わかりやすいたとえ話が載っているのですが、
こだわりの味が人のためになっているのか、
それとも自分ひとりを満たすためだけのこだわりの味なのか、
そこなんだな~と。
先日、アート活動をしている障害者の方と少しお話したのですが、
彼の絵は結構ウケが良く、小物にプリントなどもされて、
製品化されています。
でも彼自身は、絵よりもオブジェ制作の方が好きなので、
オブジェが売れてくれた方が嬉しいそうなのです。
「そしたら人が欲しいと思うようなものを作らないと、じゃない?」
彼にそう言うと、
「それは健常の世界の話だ!」
と、突っぱねられました。
さて、どうなんだろう?
すぐに結論が出なかったので、宿題にしてしばらく考えてみました。
人々に受け入れられる作品と、
人々に受け入れられない作品と。
アートなので、作品に込める作者の思いに、
そう違いがあるとは思えません。
改めて、その境界が何なのか考えました。
「感動できるかどうか」
やっぱりここにかかっているのだろうな…と。
人間の中には、国や文化を超えた
共通の美の感覚「絶対美」なるものがあって、
そこに近い作品であればあるほど、
感動する人数も増えていくものなんだろうな~と考えました。
時代を超えて今もなお大切に扱われている芸術作品というのは、
その絶対美を捉えたものなのかもしれません。
というのを踏まえて考えると、固定客・ファンを掴まない限り、
自分だけの小さな美意識の中でこだわってしまうと
共鳴する人数が限られてしまい、結果的に難しいのかもしれません。
いずれにしても、売れたいと考えている場合には、
自分が表現したいことと、世の中が求めているものと
一致しないと難しいのかな…なんて思いました。
…と、まるで他人事のように書いていますが、占い師も同じです。
こだわった鑑定やこだわった展開では、世間に受け入れられません。
さ、がんばろう!(笑)
こだわりの境界
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