『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

易と潜在意識とスピリチュアル 1

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***はじめに***
今年に入って自分の身に起きたちょっと不思議な出来事や様々な疑問を調べていたら、すべて繋がるような結果に辿り着きました。かなりスッキリしたので自分の記録として『易と潜在意識とスピリチュアル』というタイトルで、これから数回にわたり書き留めていこうと思います。高天麗舟

 

私は直感・直観はともに比較的鋭いが、残念ながら霊感はない…と自覚している。が、昨年末に書の師を突然失ってから、いきなり周りが見えなくなるほど真っ白い霧のようなものに包まれたり(貧血で見えなくなるのとは明らかに違う)、物が勝手に動いたりと、いわゆる不思議なことが頻繁に起こるようになった。

師は弟子が稽古場に現れた瞬間、その弟子が悩みや問題を抱えているか、調子がわかる人で、人の氣を察する能力が尋常でなかった。その延長上になると思うが、亡くなった奥様と交信もよくしていた。個人的にはそれが頻回だったのと、時に“それは自分に都合よく解釈しているだけでは?”といった疑わしさも含まれていたため気にはなっていたが、とにかく芸術家だけあって感覚の鋭い人だった。

あの世と交信するための技術は、本で勉強したそうだ。死を覚悟している病床の奥様と「あの世があったら話そう」と約束していたのもあって、師は必死に取り組んだらしい。数年前、私にもその方法を教えてくれた。当時「私も守護と話せるなら…」と取り組んでみたが、凡人がゆえ思考がそれを邪魔し、結局諦めた。いや、元々真剣さが足りていなかった。

いつだったか、ある日の朝方。私が布団で寝ていたら「フ~ン、フン、フン、フ~~ン♪」と師の鼻歌がハッキリ聞こえてきたことがあった。けっこう長い鼻歌だったがとにかく眠かったので、仕方なく聞きながら寝続けた。その日「今朝、寝ていて先生の鼻歌が聞こえてきたんですけど、鼻歌うたっていましたか?」と確認すると「そうなの!?今朝は早く散歩をしていてね、その時ずーっと鼻歌うたってたんだよ。あんたのところに氣がいってたから聞こえたんだね。」と驚くでもなく言われたので、余計に驚いた記憶がある。

私はこの時、氣は物理的な距離を超えるということを身をもって体験した。そして、だからあの世の魂との交信も可能なのか、と理解した。

“亡くなっても魂は生きている”と私は思っているので、私も師がやっていたように師と交信したいと望んだ。かつて師から教わった方法を改めて実践しつつ、その方法が書かれているという絶版本を探し、何度も読んだ。が、ちょっと漠然とした内容だったせいか、具体的にどうしたら良いのか掴めなかった。 

師が亡くなった翌日、師と私の共通の(交信能力を持つ)知人から「昨夜、野尻先生から急に言葉を受けた」と聞いた。彼はその時点で師が亡くなったことを知らなかった…のにもかかわらず、だ。その彼にもどうやったら交信できるのか?尋ねてみたのだが、「祈り」そして「疑わないこと、信じること」と、現実思考の私にとって非常に難易度の高いものであった。これを受けて、そもそも彼と私の受信機としての素養に大きな隔たりがあることを自覚した。

迷走は続く。次に知人のご家族が霊能者だったことを思い出し、どのようにしたらその力が開花するのか尋ねる機会をいただけた。そして『チャクラ』『瞑想』という具体的なヒントを得ることができた。さらに交信の指導ができる霊能者も紹介してくださった。
大変有り難く、これも何かの縁だと思ったのだが、残念ながら私の記憶の中にこれまで確かな霊能者と出会った経験がなかった。同じ質問をしても霊能者によって違う答えが返ってきたり、簡単にいうと品がなかったりと、信頼するには程遠いケースしか見る機会しかなかったので、せっかくのお話ではあったが、師がそうしたように、私もそれらのヒントをもとに独学でやっていこうと、とりあえず毎日瞑想することにした。

師の作品を整理しながら「こういう時、師だったら何て言うかな?どう判断をするかな?」と迷うことがあり、その時「こう言いそうだ、ああ言いそうだ」というのは思い着くのだが、それはあくまでも私の過去の経験から起こる想像上のことなので、会話ではないな、と自分でジャッジした。そこで、自分では考え付かない、私の想像を超えたメッセージを得た時に【繋がった】と判断しようと自分なりの基準を決めた。

それにしても、占い師もそうだが霊能者も人によって言うことが異なるのは、やはり精神性の違いということなのだろうか?

 

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