5/15よりオーストリア・サンクトポルテン市立博物館で 私が所属している書団「泰永会」の展覧会が開催されるため 5/11に成田を発ち、そのレセプションに参加をしつつ 泰永会と交流のある3ヶ国(ハンガリー・オーストリア・チェコ)を巡ってきました。
年盤・月盤ともに西に一白水星が回座していたこともあり(苦笑)、 一緒に旅をした全員にハプニングが起こる旅だったわけですが …ブログは、しばらくこの時の話になりそうです…
そんな旅の中でも最も印象に残ったのが チェコ・プラハの教会で聞いた弦楽四重奏でした。
本当はウィーンでオーケストラを聴きたかったのですが 残念ながらスケジュールが合わず、プラハで探しました。
しかし、プラハでも当日オーケストラを聴くのは難しく 結局この弦楽四重奏に落ち着きました。 ↓ ビゼー/カルメン、スメタナ/モルダウ ドヴォルザーク/ユーモレスク、ビバルディ/四季
そんなわけで、実は少し残念に感じていたのですが、 チェコでチェコの作曲家スメタナ、 しかも、会場すぐそばを流れる川「モルダウ」も聴けるし 楽しみにもしていました。
モルダウ[ヴルタヴァ] (photo by 私)
実際の演奏は、手持ちのCD(フルトヴェングラー指揮モルダウ)に 耳が慣れていたせいか、だいぶ速く軽く感じましたが、 四季はさすがに終わったあと感激のあまり動けなくなりました。
音楽ド素人ですが、間とか強弱とか それぞれの音が何もかも全く狂うことなく重なる感じとか もうどうにもならないくらいに満たされました。
芸術って本当にすごい力を持っているんだなぁ~と しばらくポーッと…することしかできなかったです。
そしてホテルに戻る帰り道、考えました。 映画のようにストーリーがあるワケでもないし、 芸術の感動の起こり・源泉ってどこなのだろうか?と。
演奏する姿や教会の雰囲気など視覚的な影響もありますが、 とにかく音楽に感激したことを考えると やはりエネルギーや訴えてくる圧になるでしょうか。
どうしてこんなことを考えたのかというと 同じ芸術であれば、 音楽で味わったこの感激を書にも置き換えられるのではないか?と、ふと考えまして。
芸術と一言でまとめても 目の前で見て聴く音楽と、書き上がった書作品とで エネルギーの質を同じくすることは難しいかもしれませんが、 今回の演奏から受けたエネルギーの「高み」であれば 書にも共通する要素として置き換えられるな…と、 そんな結論に至りました。
やはり、芸術の感動の源泉というのは「高み」のようです。
ということで この、エネルギーの高みが自分の作品から溢れ出るくらいにまで そこを目指して書いていけばいいのね、と 今、独りで盛り上がって、独りでスッキリしました。(笑)
音楽を聴き終え、満足した私。(photo by Tenco)
高天麗舟