『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

自分に還って人生は始まるのかも

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Youtubeを始めて4月で一年が経とうとしている。
テーマを決めるのに毎回の苦労は変わらないものの、編集は少し慣れてきた。

とはいえ、一本あたりに掛ける時間が膨大なので毎回難産なのだが
手相を通して自分の考えや主義主張を伝える場があることが本当に有難く
さらに他の手相家の先生方と線の読み方が異なることや、その理由を伝える場が
一般人の私にも与えられているこの時代には感謝しかない。

動画初投稿から二ヶ月くらい経った頃、ふと「昔の自分に戻ったみたい」と感じた。
“昔の自分”というのは中学生だった頃の自分。

中学時代の私は卓球部で朝練、放課後、土日と部活動に時間を費やしていた。
一番下っ端だった中1の頃から、球拾いをしながら先輩方の人間観察もしていて
「その言動じゃ下の者はついていかないなぁ」などと
自分が上に立つ時の反面教師としても色々と学ばせてもらった。

そして部長になり30名以上の後輩を前に
これまでに学んだ反面教師の記憶を思い出しながら
部活に気持ちを向けてもらうための思いを伝えたり、
明るく前向きな感じで部活ができるような話をしたりしていた。

今、自宅のカメラを通して、噛みながら、つっかえながら、もう一度噛みながら苦笑
視聴者のみなさまに手相を通して、私なりに伝えたい思いを伝えている。

題材が卓球から手相に変わっただけで本質は同じ。

一周まわったのかもしれない。

還暦じゃないけど一周まわって、無意識に純粋に自分自身を活かしていた頃の
本来の自分に還るものなのかもしれない。

何者かになろうとしていたのを諦めるというのとも違って
一度求めて動かなければ辿り着けなかった場所。

これが幸せで、これが人の一生の仕事なのでは?とまで感じる。

今、書の師匠の形見『神との対話』を読んでいる。

 

私たちは皆、神と同じ本質・資質・能力を持って生まれてきたという。

ほとんどの人は年齢を重ねるにつれ社会性を身につけ
社会的な自分になり、子どものころの純粋な喜びから一度離れる。

さらにもっと大人になると笑
「おや?予定通りに人生が運ばないな」と気づく。
「自分の人生はそういう展開にならないのか…」とガッカリする。

ただ、一度頭で考えた方向に向かって、その道中で得るものを得てからでないと
本来の自分には還れないものなのかもしれない。

しかし斎藤一人さんのように
子のすべてを愛で包み込むような母親に育てられたり
子どもの頃から「自分は自分!」とキッパリ言える人の場合には
自分に不足を感じないので、そういう遠回りをしなくて済むような気がする。

いずれにしても「本来の自分」に還って、改めて人生スタートなのかもしれない。
そこから神の応援を受けて次の展開が始まるのかもしれない。

いや、始まってくれ。笑