『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

引き寄せの法則、感謝を先にする理屈とは?

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引き寄せの法則的な話で
「すでに叶ったと思って先に感謝するといい」という話を聞く。
予祝もそれに近い行為なのかもしれない。

しかしまず、現状変わらずのままで叶ったと思うことが一苦労で
その上感謝までするという難儀。

あと決めると叶うというのも聞く。決めることが大事らしく。
でもこれは「気づいたら叶っていた」という、いわゆる「夢が叶う」イメージと違って
自力で叶えるニュアンスなんじゃないかいな?アリなのか?
と個人的には考えてしまうのだが。

ま、叶うならいっか。

また「アイスが食べたい、食べよう!と決めたら
コンビニに行って買うという行動に繋がって食べるのと同じ」といった
お気楽なたとえ話も時々耳にするけど

その程度のことなら経験があるから、夢を叶えるまでのそれと
そもそもハードルの高さが違うような。
夢というのは大抵経験のないことである場合が多いから
これではリアリティがない。納得がいかない。

 

でも、108さんのブログを読んで糸口が見つかったような気がした。

 

「水を飲もう」というアイデアから
 ↓
「コップを取り出す」「蛇口をひねる」「水を注ぐ」という行為を経て
 ↓
「水を飲めた」達成

という経緯だけど、そもそも
「水を飲みたい=水を飲めた」 
だったんじゃないかと。

私などは、夢が叶うまでの順序を
「願望」⇒「叶うまでのプロセス」⇒「叶う」
の順で辿っていくものと信じ込んでいるので
プロセスが考え付かないと不安だし、
だから「どうやって水を飲む?」という手段に陥ってしまうし、
結果的に「叶う」ことを信じられなくなってしまう。

 

途中のプロセス・手段はこちらで具体的に準備しなくても、知らなくても、
「水を飲む」と「決める」ことで
叶えるために必要な情報をキャッチしやすい状態に入るため、自ずと情報が入ってきて
それに従って動いていくことで、いずれ辿り着く。

ということなのかもしれない。

2歳児が「水を飲みたい」と思った時、
「おみじゅくだしゃい」と人に懸命に伝えるとか
周りのオトナがコップに水を注ぐ姿を見て、水を飲むための情報を掴んだりとか。
もう記憶にないけど、我々は無意識のうちに
こうやってささやかな夢を叶え続けてきたのかもしれない。

ここで大切になってくるのが「自ずと情報が入ってくる」ことへの絶対的な信頼。とか
実は、情報は常に身の回りにあって、いかに注視できるか?気づけるか?
というだけのことなのかもしれない。

 

そして「必要な情報に気づきやすい状態」というのが「感謝の状態」かなと?
感謝の状態にあれば、上機嫌だろうし、
不安や焦り、こだわり等、心に曇りはないだろうし、
安心の世界にいることになり…

 

その状態でいることで、望ましいものが共鳴するのかも。

 

叶うまでのプロセス、叶えるための手段は
人間のちっさな頭では考え付かない壮大で精工で絶妙なものだから
ここは委ねるのが一番、いや、信じて委ねるしかない。

 

ということで「水を飲みたい」は「水を飲めた」であり、
「夢を叶えたい=叶った」なので、自然と感謝できるかなと思った。

 

「鳥が飛ぼうとするのは、飛べると知っているから」
小森圭太さんのYoutubeでおっしゃっていたが
私利私欲でないものであれば自然なので、だいたいは叶うものなのかも。

叶わないものは、叶わない方がよかったものなのかも。

 

こんなにウダウダ書きながらも、私自身、夢らしい夢はないんだけど
信じて委ねた私が、どこに辿り着くのか?どうやって辿り着くのか?
今ではその過程を味わうのがちょっとした楽しみとなっている。