11月27日(火)より泰永書展が始まります。
昨年10月よりこんな感じで時間をみつけては書いておりました。
今回の作品は、易経「繋辞上伝」から。
草書なので何が書いてあるのかわからないと思いますが 活字にすると以下になります。
子曰。書不盡言。言不盡意。然則聖人之意。其不可見乎。 子曰。聖人立象以盡意。設卦以盡情僞。繋辭焉以盡言。 變而通之以盡利。鼓之舞之以盡神。
ブログのタイトル「書不盡言。言不盡意。」は、 文字に書き表したことは言おうとすることを尽くし得ないし 口に言い表したことは心に思っていることを尽くし得ない。 という意味です。(『易経 下』岩波文庫より)
自分の言いたいことを文章にすることで まずは文字の制限が加わり、 次にそれを受け取る読み手の感性と さらには読み手の観念からも制限を受けてしまう…
文字による伝達には限界がある。…よく感じることです。 また思いを口で相手に伝えることも、とても難しいものです。
先日もイベントの合間に何名か鑑定させていただいたのですが、 限られた時間の中で的確な言葉を選んで伝えることの難しさを 痛感しました。
ひとつの単語でも、 自分が思い浮かべるものと相手が思い浮かべるものと 全く同じという保証はなく、相手の表情を見て初めて 「いやいやそんなつもりで言ったんじゃなくて…」 なんて気づくこともあるものです。
占い師という仕事は、 他人様の人生にクチを挟む“事の重大さ”を 承知していなければなりません。
相手の話に耳を傾けるときは、自分の観念を外すこと。 自分の思いや意見を伝えるときには、こちらの都合を外すこと。
改めてそんなことを意識して鑑定していこうと思いました。
ちなみに、書不盡言。言不盡意。のあとはこう続きます。 ならば、聖人の心を知ることはできないのだろうか。 孔子は言った。 聖人は易の象を立てて心のすべてを表し、 卦を作ってあらゆる事物を判断し、 辞をつけてそれを説明し尽くした。 変化に応じて民をより良い方向へ導き、 民心を鼓舞し、人知の及ばぬ不思議な力を発揮した、と。 (『中国の思想Ⅶ 易経』徳間書店 より)
お近くにお越しの際には是非お立ち寄りくださいね!
高天麗舟