『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

易と潜在意識とスピリチュアル 2

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師が亡くなって4ヶ月が経ったある日、一年近くご無沙汰していた易仲間のリカちゃんから突然連絡をいただいた。私のことが急に気になり、易で私の状況を観たところ【山澤損 四爻】を得たよ、とのメールだった。(リカちゃん、ありがとう!)

山澤損(さんたくそん)は大まかにいうと「損して得とれ」の意。この頃の私は本当にこの卦の通り、師の作品整理や海外展の準備、多方面への連絡等で世話苦労が多く、師が亡くなった後も師のために動く日々だった。亡くなって4ヶ月が経ち、多少落ち着き始めた頃で四爻というのも納得がいく。

【なぜ易は当たるのか?】

64卦…爻に分けると384通りも選択肢がある中で、なぜ状況にあったものをピタリと提示できるのか。

今さらなのだが改めて疑問に思った。私の近況をまったく知らない人が私のことを易で卦を得て当てられるとは、どういうことなのだろう?鑑定でもそう。相談者の悩みや迷いについて、その日初めて会った私がサイコロを振り、何故ピッタリの卦を得ることができるのだろう?

以前、私に面倒な電話がかかってきていた時期があった。呼び出し音が鳴っている最中「この電話を出たらどうなるか?」と、その展開をササッと毎回占っていたのだが「水山蹇」「沢水困」「坎為水」「山水蒙」等、悩みを表す「坎(水)」の卦ばかりが表れた。そして電話はその通り、こちらがどんなに気を配っても感じ悪い雰囲気で終わった。

ユングも時々患者を易で観ていたそうだが、やはり「坎」がよく出たらしい。

また易は当たるだけでなく、誰にも言っていない本音も余裕で見透かす。質問の奥に、相談者が隠している下心や卑しい動機・欲がある場合には、易は容赦なくその本音をえぐり、指摘する言葉を浴びせてくるのだ。

私(易者)と他者(相談者)との間に、相通ずる何か・共通の何かがあって、そこに答えがあるのだろうか。その共通の何かは未来を知っていて、そこから導き出しているのだろうか。スピリチュアルの人がよく言っている“みんな繋がっている”は、本当なのだろうか。

また易というのは不思議なもので、いくら相談者の質問について易にたずねたとしても、卦を出す側(易者)の内面に一点の曇りがあれば、その曇りについて答えが出てしまう…という恐ろしさがある。

やはり、自我=意識 を超えた無意識のものに反応して答えを導き出している…としか思えない。

 

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