『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

感度の低さ

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最近ネットで「なるほどなぁ~」と思う言葉に出会いました。

 Experience is not what happens to you. It is what you do with what happens to you.

経験とは、あなたに起こったことではない。 起こったことに対してあなたのしたことである。

by Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー

いやぁ~その通りだなと思いました。 私も今となっては苦痛に感じなくなりましたが、 出産直後から育児を通していろいろ勉強させてもらいました。

目の前に起きたこと、それにどう対処するのかは 当人の考え方によるのでしょうが、その前に。 その考え方がどこから起こっているのかといえば どう感じたか?すなわち感性から派生しているのかなと。

例えば、大泣きしている男性をみて 「よほどのことがあったんだろうな」と気に掛ける人もいれば、 単純に「みっともない」と感じる人もいるでしょう。

概ね、短絡的な見方しかできない人からは その後の言動も期待できません。

性格の良し悪しというより、 自分の狭い観念のフィルターを通して物事を見ることにより どうしても「短絡的な見方=感度の低さ」に陥るようです。

よって、オルダス・ハクスリーさんの言う「経験」は 自動的にショボくなるのでしょう。

少し「書」の話になりますが、恐ろしいことに 感度の低さを想像させるような筆跡も時々見掛けます。

練習不足もあるでしょうが、 線の太さやしなり方、強弱、濃淡…すべてにおいて一本調子で 表現に幅がなく表情に乏しい印象を受けます。

こういう筆跡を見掛けると、私などはクチが悪いのでつい 「感度低いなぁ~、エッチも下手なんだろうな。童貞臭いぜ!」 などと思ってしまいます。

そうそう。名品には同じ表現が二つとない、といいます。

上の写真は孫 過庭という書家が書いた「之」という字ですが

一つの作品の中にこれだけのバリエーションがあります。 (写真はその一部で実際にはもっともっとあります)

咄嗟にこれだけ書けるということは、 もちろん練習に練習を重ねたというのもあるでしょうが、 おそらく感性豊かで琴線にふれる数も多かったのだろう…と。

「感度の低さ」の根本はその人自身となるのかもしれませんが、 ここは後天的に変えられる部分もありそうです。

人⇒感性⇒経験⇒人⇒感性⇒経験・・・ とスパイラルに続いていくものかもしれないですね。

だとしたら、できることは感度を上げることでしょうか。 観念のフィルターを取っ払い、多角的に物事を見聞きし、 経験を重ねていく。 そうしていくうちに人間味も増していくのかもしれません。

鈍感だからこそ生きていけるところもあるとは思いますが、 敏に反応できるからこそ味わえる感動もあります。

人間、歳を重ねるごとに凝り固まってしまうものですから なんとかそこに陥らないよう自由度高く、 クソジジィ…いや、いぶし銀のような作品が書けるよう 「書は人なり」ということで引き続き精進して参ります。

 

高天麗舟