『書と占い』

書家・占い師 の視点でみえた日常のあれこれ

易と潜在意識とスピリチュアル 3

五十路を迎えることだし、いずれはゆっくり瞑想を日課に取り入れたいと考えていたのもあって、すんなり瞑想生活に入れた。

瞑想というと無念無想にならなければならないとか、動いちゃダメだとか、かなりハードル高めなイメージがあるが、私が実践しているのは「マインドフルネス瞑想」というもので、自分の呼吸リズムや、瞑想中に聞こえる音、肌に触れる風の感覚など、感覚に意識を集中してさえいればOKというもの。「今夜の夕飯なにしよう?」と雑念がよぎったら「あ、違うこと考えちゃった。集中、集中!」と意識を戻せば良いだけ。雑念に気づくことが大事で『雑念に気づいたら意識を戻す』を筋トレのように繰り返すことで、自分の“今”に集中することができるようになる、のだそうだ。 

瞑想がよくわからないうちは誘導CDを聞きながら行っていたが、慣れてくるとだんだん誘導の声を煩わしく感じるようになったので、今はただ目を閉じて、1分間に1~2回の長い呼吸に意識を向けた後、自分に近い人から遠い人まで勝手に感謝と祈り(今日一日安全に過ごせるように等)を送っている。

私の場合、調子良い時は20分を過ぎたあたりからストーンと深い層に入り、急に心地良くなる。そして眉間がムズムズとして、たまに身体が後ろに倒れたりすることもある。だいたい目を開けると40分が経っているのだが、最近は感謝と祈りの他に、気づけば妄想の時間ともなっている状態だ。

そしたら…忘れもしない、瞑想を始めて2週間も経たない2020年3月3日。ボーッと洗濯物を取り込んでいる時だった、突然

【 あなたは野尻先生より高い存在に守られているから安心しなさい 】

という“感覚を受けた”。 

“感覚を受けた”というのは、例えば外出してすぐ「鍵閉めたっけ?」とか、突然「マクドナルドのポテトが食べたい!」のように(笑)、言葉でなく「あっ!」の感覚と同じ。

「野尻先生と話したい」と強く念じていたからこういう感覚を受けたのだろうが、“野尻先生より高い存在” というのだから師ではないのだろう。それにしても、この時受けた安心感は、これまで生きてきて一度も味わったことのないほどの威力を持っていた。正直、野尻先生との交信以上に安心できたと思われる。

それにしても 『野尻先生より高い存在』とは、一体どなたなのだろう?私の守護か?新たに私についた守護か?

数年前、障害者施設の見学に行った際、統合失調症の青年が次のように打ち明けてくれた。「 “ここから飛び降りちゃえよ” とか “ここで飛び込んじゃえよ” っていう言葉が突然聞こえるんだ。それがうるさいんだけど、あんまりしつこく言われるからその通りにやっちゃうの。だからいつもケガしてる。」と。

また、子供時代に統合失調症を患っていたという知人が言うには、「悪いモノは “飛び降りちゃえ” みたいに “言葉” で聞こえてくるんだよ。言葉で聞こえるものはニセモノだと思って間違いない。“感覚で受けた” のであれば、それは悪いモノではないと思う」…経験者の言葉は貴重だ。

もはや「師と話したい」どころの騒ぎでなくなってきてしまった。私に繋がった存在が何者なのか?私に味わったことのない安心感を与えてくれたのは誰なのか?

これだけでなく、その『野尻先生より高い存在』は、私の誕生日前日には当時問題になっていた困った人物への具体的な対処法を授けてくれ、仕事についてアレコレ考えていた時期にも「あなたはすでに素晴らしい価値ある存在」と…言葉にすると安くなってしまうが…とにかく私を包み込むような感覚を与えてくれた。こんな感じで常に私の味方として安心と励ましを与えてくれるのだ。

また、眠りから覚めるかどうかという朝方には、書の創作について「あの漢詩をあの書体であの筆を使って書けばいい」という具体的なアドバイスを示してくれたり、いきなり草書が一文字浮かび上がってクイズを出されたり?と、不思議なこともあった。

一瞬、夢の中だけど “いよいよ師と繋がれたか?” と喜んだが、冷静になって考えると、ここ最近いろいろな本や資料を読んで得た情報が寝ている間に整理されて出たのかな…とも思う。(思考が直感を打ち消してしまうのは知っているが「疑わないこと、信じること」というのは本当に難しい)

とにかく今年の立春からいろんなことがあった。

 

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