第31回 泰永書展 ~野尻泰煌追悼展~ 無事終了いたしました。
お忙しい中たくさんの方にお越しいただき、改めて師の人柄が偲ばれます。
本当にありがとうございました。
会期中、中国メディアの方から突然取材を受けたり、
中国の女性書家が見に来られたりと、小さな国際交流もありました。
師は毎年展覧会が終わると、その余韻に浸る間もなくすぐに
翌年展覧会用の作品手本を弟子に書いてくださっていました。
2019年の書展が8月だったので、手本を必要とする多くの弟子が
亡くなる12月までの間に今回の作品手本をいただくことができました。
今年はそれに沿ってなんとかなりましたが。
…問題は来年からです。
「獅子の子落とし」と言いますが、弟子全員が見事突き落とされました。苦笑
しかし、苦しみながら必死に崖を登るか。そのまま谷底で諦めるか。
小手先の手法でズルしておさまるのか。選択肢はさまざまです。
師は生前、よくこう言っていました。
ボクは『書道』とは言わず『書』って言うでしょ。
ボクは『書道家』でなくて『書家』なの。
『道』がつくということは、師匠や流派の教え(道)に則っていないといけないの。
『道』から出たらいけないの。
でもそれじゃ芸術にはならないんだよ。だから日本の芸術レベルは低いの。
それだからボク自身そうしてこなかったし、
ボクも弟子に「ボクの教える通りに書け」なんてさせたくない。
むしろボクと違うようにそれぞれ書いて欲しいと思ってる。
もちろん古典に立脚していないと話にならないけどね。
師が弟子に望んでいたのは「古典に立脚した個我の発露」「主体性」でした。
古典を踏まえていないとマスターベーションで終わりますから、
ここは避けては通れないですね。
今となっては懐かしいのですが、私への指導は本当に厳しいものでした。
師の楷書手本を一生懸命真似て書きましたが、1mmでもズレていたり、
バランスが崩れていたりすると徹底的に言われます。
「こんな指導を他の弟子にしたら書けなくなるね。」と師は笑っていましたが
これが週に1~2回の稽古の度ごと、ガッツリ4~5ヶ月続きました。
でも書けるようになりた過ぎて、イジケる間もなかったです。(笑)
また、孫過庭という書家の臨書(そっくりに書く)も書きました。
これは本当に勉強になりました。筆の運び方や上下動など、
こんなにも多様な書き方をしなければこの線は出ないのかと身体で覚えられました。
師はある程度の段階にいかないと厳しいことを言わないタイプだったので
「これからがボクの本当の指導だよ」と言われた時は本当に嬉しかったです。
手本という『道』を失った今、
私は真の『書家』になれるチャンスだと理解しています。
そして『書家』になれるかの分れ目は「主体性」以外にないと思っています。
もし、師が100歳まで生きていたら私は90歳頃まで甘えに甘えて
一生「書道」で終わったことでしょう。
獅子の子落とし/
「獅子は自分の子を深い谷に落として、這い上がってきた生命力の高い子供のみを育てる」という言い伝えより「深い愛情を持つ相手にわざと試練を与えて成長させること」を意味するのだそうですが、これはもう師による最後の演出ですね。(笑)
師から学んだものをものをもとに、
師とも違うものを自分で探りながら書いていくという…
なんとも難しい試練です。
手探りで自分なりの書を探し、崖を這い上がり、
「よくやったね、みゆきちゃん♪」と、あの世からニヤッとしてもらいたいものです。
高天麗舟
第31回泰永書展より新しくなった作品集のステキな表紙&裏表紙