『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

歴史の延長に今がある

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書の野尻泰煌先生に入門して間もなく、師に 「世界の美術館に作品を送り出すのに、その国の人の好みや 国民性に沿った要素を取り入れて書いているんですか?」 と質問をしました。

間髪を容れず「もちろん!」という答えが返ってきたのですが、 私は先月のハンガリー訪問で、 初めてその〝国民性〟という言葉の本当の意味を 理解できたように感じました。

今回のハンガリー・ケチケメートでは、 会場にあたる博物館周辺の案内をしていただきました。 多くの建築物や街のシンボルが、世界大戦をはじめ その前後の戦争や占領などの影響を受け存在していることに なんとも切ない思いが残りました。

同時に、 もともと歴史が苦手な上、平和ボケしている日本人の私にとって 今を生きる一般市民の他国に対する感情が 歴史から立ち上がっている部分が強いことにショックを受けました。

これは、現在のハンガリー共和国が誕生したのが1989年10月と つい最近のため、歴史が身近なことも手伝ってかもしれませんが ハンガリーに限ったことでなく、ヨーロッパをはじめ、 多くの国がそういった傾向なのかもしれないなと思いました。

また、現地で出会ったタクシーの運転手さんも、ホテルの人も 温泉で働く人も、カフェで働く人たちも、 みな親切な方ばかりなのですが、陽気さはあまり感じられず、 どこか、もの寂しい印象を受けました。

ブダペストの街を歩いていても、ナチス本部だった建物があったり 古い建物の隣に突然ポッカリと空地があらわれたりと、 もの寂しい雰囲気が残っていました。

繰り返された戦争・占領、歴史、気候、自然、食事、建築物… 改めて、様々な要素が重なり合って、 ハンガリーという国民性が出来上がっているのだと実感しました。

また、日本に帰ってきてから上野の国立博物館に出掛けたのですが ハンガリー19世紀のゴージャスな装飾に目が慣れてしまったせいか あの洋風建築の代表ともされる表慶館でさえも簡素に見え、 良くも悪くも一人ひとりの血には、伝統と土壌が受け継がれており、 日本人がどんなに西洋に憧れて真似たとしても 結局真似事にしかならない、 それは避けられない事実なのだ、ということも実感しました。

日本は1945年から70年余り戦争がなく、 個人的には、戦争の歴史が教科書の中の話で終わっている印象で 日常で過去と現在の繋がりを感じる機会がありません。

「物理的手段によって他者を支配した者は、 やがて、心理的に他者から征服される時が来る。」 先日読んだユングの本に書かれていた言葉ですが、 もしかしたら戦後アメリカは、 日本の伝統や精神性・国民性に憧れ、挙句の果てに嫉妬し、 日本を根絶やしにしようと動いたのかもしれません。

それでも日本の伝統と土壌は個人に根付いているものですし、 生い立った文化や伝統を踏まえて生きていくことが 世界と関わる上でも大切なのではないかと思うようになりました。

その逆で、今日本では簡単に「世界進出」や「世界で活躍」などと 「世界」という言葉を用いて様々な日本人が紹介されていますが、 自国と他国その両方の伝統と土壌を理解していなければ、 本当の意味での活躍は難しいということも、今回の旅でわかりました。

ただの観光でなく、「国際文化交流」という形で ハンガリーと関われたことは、私にとって掛け替えのない財産です。

日本の伝統や文化をもう一度見直し、 より日本人らしく生きていけるよう過ごしていこうと思います。

 

高天麗舟