私が手相鑑定する上で、最も気にかけている型があります。
上図のように感情線の先端が下降しているタイプです。
一般的な手相本には「優しいタイプ」などと紹介されておりますが 実際はそんな簡単なものではないケースが多いです。
私が観たところ、この感情線のタイプの方は、 争いを避けるために何かあっても自分の意見を言わなかったり、 自分の欲求があっても人に譲って結果的に我慢したり、 とにかく自分の感情を抑える傾向が強いです。
また、小さい頃から我慢を強いられる環境で育ったせいか 我慢している自覚さえもなかったり、 器とか包容力というものに憧れ 実際には人を許していないのに「受入れなければ」と自らを課し 許したフリになってしまうケースなどもあります。
大人になって「イヤなものはイヤ」「やりたくない」などと言うと 幼稚な人とか空気が読めない人など、困った人扱いされるものですが(笑) 本来の感情を溜め込んで生き続けると 身体(健康)に影響が出てきてしまうものですし、 一体誰の人生を生きているのかわからなくなってしまいます。
ただ、イヤでも避けられない事については、 避けてはいけないなりの理由があって 腹を据えてそれに取組むことで得るものがあるのだろうと思いますが、 自分に選択の余地がある事柄については 「自らを由とする」字の通り自由であることが大切と思います。
そのためにも私は、このタイプの感情線の方や 自身に制約をもうけて自ら苦しんでいる人には もう少し自分の本当の感情に耳を傾けて欲しいと感じています。
「本当の自分はどうしたいのか?」 奥底にある望みや願いに目を向けることは、 正面から自身の見苦しさや腹黒さを認めなければならないため 辛さを伴うものです。
そういった本人が蓋をしておきたいところや 潜在的に気づいているであろうことを そのまま直接的に私が言葉にして伝えるので、 人によっては私に対して押付けや反発心などの 不快な感情を抱くこともあるかもしれません。
しかし、不快に反応したということは、 私の言葉と共鳴する思いがその方の中に既にあった証ですし、 それを言うことが私の目の前の方に対する責任なので 保身や気休めの同調で無責任な言動をするわけにはいきません。
穏便に相手の意向に同調することはたやすいことです。 ただ、それが近視眼的な結論で 先々まで見据えて私が危ない・良くないと感じた場合には やはり意見しないわけにはいかないのです。
先日読んだ【「易」心理学入門】という本の中に 以下のような内容が載っていました。
「自己実現」に関してよく言われることとして、専業主婦が趣味と実益をかねた技術を活かしてお店を出し、大いに稼いで自己実現したとか、受験生が頑張って勉強して東大に合格して自己実現した、という表現がある。 ユング的にいえば、そのような場合は自我の欲望の実現「自我実現」なのであり、ユングのいう「自己実現」とはほど遠い。 (※お金を稼ぐこと、勉強をしていい大学に入ることを否定しているわけではない) 人間生きていく限り欲望は数限りなく出てくる。自らの想いのみでこの世界と対峙している限り、世界と自分との相違は永遠に続く。この無限循環から逃れ出る道こそ「個性化過程」に他ならない。 「自分自身の真の姿」を直視することができれば、一歩「自分を知る」道を歩んだことになる。 さまざまな思い・想いに凝り固まった「自我」の枠組みを少しずつ取り壊していく作業には辛いものがある。それに耐えて「自我」の代わりに「自己」を据えていこうとするプロセスが「自己実現」なのである。
ユングのいう「自己実現」が、 私が最も大切と思っていたことを指しているなら こんな心強いことはありません。
目の前の方が本来の自分に沿った生き方ができるよう 引き続き声を掛けていこうとおもいます。
高天麗舟