先月の終わりごろ、東京国立博物館で開催されていた 特別展「顔真卿 王羲之を超えた名筆」を観てきました。
会期終了間際だったためか、とんでもない混雑ぶりで 目線より下に配置してある展示物は ジャンプしたとしても観られないような状況でした。
仕方がないので第一会場は流し見て、第二会場に移動しました。 が、第二会場終盤になると皆さん集中力が途絶えるようで 目の前で展示物を見られるくらいになっていました。
そして、その、皆さんが飽きてきたであろうエリアに 「今日ここに来てよかった~」という作品がありました。
米芾(べいふつ)です。
孫過庭(そんかてい)も王羲之書法を継承したことで有名ですが
この米芾も王羲之に徹し学んだ方だそうで
手元の本で二人の書を改めて見比べてみると
米芾の方が断然!王羲之の美しさ汲み取り
表現できているように感じます。(何様?的な発言スミマセン)
その米芾の作品ですが、
パッと見るとクセ字のような印象を受けます。
(といっても、それだけ王羲之に徹してきた方なので
一般的に使われる「クセ字」とはまったく意味は異なります)
しかし不思議なもので、そのクセがなんか心地良いというか、
このクセがあるから全体が際立つというか、
逆に、このクセがなければもの寂しいだろう…
というところまで思わされたことに衝撃を受けました。
このクセそのものが米芾であり、
米芾でなければ書けないジャンルが完成されていました。
クセが魅力という領域にまで昇華した素晴らしいお手本を
目にすることが今回でき、
これこそが、師がいつも言っている個性なのだろうと
そして、この領域まで来たものを【名品】と呼ぶのだろうと、
頭でわかっていたことが肚に落ち、
またそれを実際に目にすることが出来た感動で
本当に胸がいっぱいになりました。
目から鱗が落ちる…とはこういうことを言うのだろうと
主役の顔真卿ではないところでしたが、
私にとって充実の展覧会でした。
高天麗舟
展覧会がゲキ混みだったので
パンダ・ラテを飲んで時間調整しました。