野尻泰煌と弟子たちによる展覧会が無事、終わりました。
平日の雨の中、またシルバーウィークの最中、お越しくださったみなさま、本当にありがとうございました。(あっちゃん、ほんまにありがとう。個人的にメッセージ(笑))
入場無料ということもあってか、たまたま通りかかった方や、また池袋という場所柄か、ちょいとアルコールをひっかけてお越しくださった方など(笑)、いろんな方がおいでくださり、刺激的な四日間でありました。
私の作品が展示されるのは今年で二回目ですが、会場の様子を見ていて(特に年齢を重ねた方の傾向ですが)、今年もまた、ある「落ちどころ」を感じました。
日本人にとって身近な存在である漢字。
毎日見ている字なんだから、読めるはずだ!書いてある意味だってわかるはずだ!と、どうしても「読みたくなる」ようなのです。
気持ちはわかりますが、そこじゃないです。(笑)
最初からそこにこだわってしまうと、解読?謎解き?に躍起になってしまい、書全体から何かを感じることを忘れてしまいます。
なんとももったいないように感じました。
これは今回展示された我が師匠・野尻泰煌の書なのですが、ヨーロッパの美術館への収蔵が決まっている作品です。
あ、サラ~ッと「美術館収蔵」と書きましたが、あのピカソでさえも、作品が美術館収蔵になったのは、80歳を過ぎてからだそうで、今、生きている作家の作品が美術館に収蔵されるって、しかも50代でって、きわめて稀なことです。(一応、秘書なんでココ押しておきます。)
欧米人に書がわかるのか?と思われるかもしれませんが(そこは以前コチラにまとめました。)、漢字や意味がわからないからこそ、純粋に造形芸術として書を見ることができるのかもしれません。
今回の展覧会を終え、自分の目標というか使命というかがわかりました。「何が書いてあるのかサッパリわからないけど、なんかスゴイ!」と、 見る方が理屈抜きで感動できる作品を書いていくしかありません。
と、エラそ~に言っちゃった手前、公開しづらいのですが(笑)、私の今年の作品はこんな感じでした。
紙の大きさをイメージしやすいように、私も一緒に写り込みました。照明の加減で見えづらいかもしれませんが、イメージってことでお許し下さい。
「でも、やっぱり何書いてあんの?」と思ってしまう方!(笑)
行為しようとの意志を持たず、しかもすべてを成し遂げる。これが無為自然の道である。万物はおのずと生々発展する。だが、この生々発展の中にありながらも、人は作為したい欲望をおこすものだ。そうした欲望は、無心の徳によって鎮めよう。いや、鎮めようとする意識すら捨て去ることだ。徳の上なるものは、徳であろうと作為せず、徳の名を得ようともしない。徳の下なるものは、徳であろうと作為したうえ、徳の名を得ようとする。
これがザックリとですが、内容です。
老子道徳経三十七章・三十八章で、徳間書店の中国の思想「老子・列子」にわかりやすく載っています。
無為自然…やはり他力なんですね。
高天麗舟