書と占い「運」

書家・占い師 高天麗舟 が日常から考える「運」のあれこれ

作品制作と他力

今でも覚えているのですが、高校時代の日本史の教科書に
「法然は、ひたすら阿弥陀仏を信じ『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えれば、
どんな人でも救われる、と説いた。」
とありました。

当時、今以上に自力全開だった私はこれを読んで
「そんなウマイ話があるわけないって。なんでみんなこんな都合イイ話を信じたんだろう?
しかも歴史に残るほど広まったって、どういうこと?」
という感想を抱いたのを今でも覚えています。

いや~バカでしたね。苦笑

さてさて。

泰永会第30回記念展、暑い中お越しくださった皆様ありがとうございました。
私は今年、隷書を書きました。内容は早春獨遊曲江(白楽天)です。

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私の身長が158cmくらいなので大きさをつかめるかと思いますが
やはり手ごわい作品でした。

この作品は構造と、いかにしっかり横画が書けているかが肝となるのですが
「失敗してはいけない」と意識すると途中で線がブレたり
「がんばるぞ!」と気負うと線と線がぶつかってしまったり
また、気を抜くと最後の一文字が入らなかったりと(笑)
集中だけでなく、ちょっと客観していないと作品になりません。

またキレイに線を書くことを気に掛け過ぎると、線に勢いがなくなり
守りに入ったような圧のない作品になってしまいます。

4枚一気に書くのですが、全部書くのに3時間半~4時間。
字を書くというより、ひたすら線を書くことだけに集中します。

といっても結局は、
自分であーだこーだと考えて書いても実力以上のものは書けないし
書けたものを受け入れるしかありません。

もう、ちょっとした修行です。
今年もイヤというほど思い知らされました。

クドいようですが、ただ書くしかないんです。
でも、ひたすら書くことによって「スゴイ作品を書きたい」という
つまらない欲から解放され(そんなことを考える間もない)、
欲に振り回されなくなるんです。

そして、これだけ集中して書いているのだから何とかなるだろう…という
ささやかな希望を抱くこともできるんです。

先ほどの念仏の話、コレでした。
この「ただ書く行為」が「念仏を唱える行為」にあたるのだなと。

『南無阿弥陀仏』と唱えることに集中することで
さまざまな欲や不満から精神的に解放され、
これだけ念仏唱えているんだから、なんとかなるだろう…という希望が持てる。

「救われる」というのは、急に生活が潤うという話ではなく(笑)、
現状の欲や不満から精神的に解放されることによって
困難の境地から抜け出せる=精神的に楽になる…ということだったんだと。
「他力」ですね。

自分の努力によって結果を得られる「自力」の喜びは
実感しやすく満足度も高いものですが、
その一方で、自分で決めた目標にこだわるあまり
自分が思い描いた以上の結果を受けるチャンスを逃してしまう可能性もあるわけです。

結果が気にならなくなるまで目の前のことに集中し、ささやかな希望を持ちつつ、
想定外の展開を迎えることができる状態でいる。

「他力」と聞くと手抜きという印象を持ってしまいがちですが
自分の欲から解放されるほどの努力は、ある意味「自力」の努力を超えています。

高校時代にこんなことがわかるはずもありませんでしたが、
すごい教えだったんだな~と五十路手前の今、ようやく実感できました。

 

高天麗舟