『書と占い』

さいたまで活動している書家・占い師が日々の気づきをあれこれ書いています。

「穀つぶし」「税金泥棒」「大量殺人」

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8月、戦争中の聴覚障害者をとりあげたハートネットTVを観ました。 国民全員に余裕がなく、戦力にならないろう者が「穀潰し」と蔑まれていた時世。 それでもお国のためになろうと必死に生きたろう者の人々。

相模原市の障害者施設で大量殺人が起こったのは今年7月のこと。

詳しいことはわかりませんが、一部報道によると容疑者は「障害者なんていなくなればいい」と話しているとのこと。 施設の人や税金のチカラを借りてやっと生きているだけの人なのだから殺した方がいいという考えだったのでしょうか。

そして、それを「よくやった」と称賛するネット上の書き込み。 戦後71年が経ちますが、今も昔も根強くそういう考えは存在しているようです。

話は変わりますが、3.11の地震のあと、多くの人が寄付し、ボランティアを希望しました。私はこの時、人間には生まれながらに「人の役に立ちたい」という思いが組み込まれているのだろうと感じ、感動しました。

実際人の役に立った人を見掛けると、心から素晴らしいと讃えるものです。

「役に立つ人=立派で素晴らしい」

その通りと思いますし、私も人の役に立ちたい思いから占い師という仕事に進んだのもあります。

しかし、役に立つことを善とし、「正しい」という範疇で捉えてしまうと、

「役に立たない人=ダメなヤツ」

という、浅い価値観が生まれます。

もしかしたら容疑者は、生きる価値がないと思う人・税金泥棒としか思えない人を殺すことを正しい行いと信じて行ったのかもしれません。

以前、ある映画で、酔ったサラリーマンが障害者に対して「お前ら、稼ぎもないのに俺たちの税金で飯食いやがって!」と障害者を殴るシーンを観たのですが、私には解せないものが残りました。

というのも例えば、電車に轢かれそうな人を自らの危険を顧みず助ける人に対しては、簡単に真似できることでないから純粋に賞賛だけして、真似できない自分を悪人だとは思わないし、また、真似しない人のことも悪人とは思わない。

でも、仕事をして税金を納めることくらいは自分もしているから、それさえもできない人を見ると悪人のように蔑む。

生産性のない人は生きる資格がない。 税金で生きている障害者は生きる意味がない。

まるで民意の代表のように堂々と言い放つ。

そんなサラリーマンより何百倍も納税している高額納税者が障害者のために施設を作っていたりするのに、不思議なもんです。(笑)

何かを正しいとしてしまうことで、間違った存在が生み出されるわけですが、

もしかしたら、稼ぎのない人・生産性のない人を通じて、反射的に稼ぎの少ない自分のコンプレックスをえぐられたような気分になるのかもしれません。

本当は、障害者でなく稼ぎの少ない自分がイヤなのかもしれません。

「稼ぎが多い=正しい」の価値観で自分を縛りつけていないか、一度考えてみてもいいかもしれません。

 

高天麗舟